今僕の目の前には1つの骨壺が置かれている。
中に入っているのは10年以上飼っていた猫のものだ。
飼っている猫が死んだと書いて終わればそれだけの話ではあるんだけど、それだけで終わらせるには少しだけ思い入れのある可愛いヤツだった。
子供の頃から猫が好きで近所の友人の家へ友人が飼っている猫目当てで遊びに行ったりしていて、猫を飼うのが夢だった。中学生の頃の家庭科の時間理想の一軒家の間取りを書いて提出する課題では自分の部屋よりも大きな猫専用の部屋を書いて提出したことを今で覚えている。
だけれども残念ながら高校一年生まで僕は猫を飼ったことがなかった。飼いたいと思って両親に相談しても駄目というのはよくある話でその代わりというと彼らには失礼だがハムスターとかザリガニとか亀とかを飼っていた。
そういう猫が好きで野良猫や他人の猫を撫でて高校一年生を終えた頃、僕自身の心境に変化があり、簡単にいうと学校に行けなくなってしまった。よくある不登校というヤツだ。
ここでは不登校がどうのこのうのとか根性がないだの根性論を言う気は無い。何故なら既に正式に退学しているし、退学したこと自身は前向きの退学だったし、それに僕が今回書きたいのは猫の話だからだ。
僕が通っていた高校の近くには公園があってかなりの野良猫がいた。学校に通っていた頃は帰り道にその公園をわざと通って猫を眺めたり、ご飯をくれるまで後ろをトコトコ歩いてついてくる猫(という噂だった。野良猫にご飯をあげたことは今まで一度も無い)を連れてのんびり歩いたりと充実した生活だったのだが、学校に近づきたくもないという心境になり学校から離れてしまったので生活の中で猫と接する機会がめっきり減った。
まぁ高校生の息子がそのような状況だからと母親がカウンセリングを受けさせるために診療所に連れていってくれるようになり、カウンセリングのために家の外に出る以外は家の中に籠もっていたある日、僕はふと「猫が見たい」とカウンセリングの返り道に母に言った。
丁度自宅の最寄り駅の近くにペットショップが一件あって、そこで猫を眺めてから帰ろうということになりペットショップによることになった。
回りには血統書付きの売り物の猫がショーケースに入って愛想を振りまいている中、床に置かれた檻の中に雑種の子が一匹入っていて、見た瞬間一目惚れしたのは覚えている。
今まで猫は家では飼わないという約束だったのだが僕の母親も息子がそんな感じだったので心の足しになるだろうと思ったのだろう、仕事に出ている父親がOKと言ったら飼ってもいいよということになりその場でその子の値段を店員さんに確認した。
値段はタダ、ということで話を聞けば1週間ほど前から店の近くをうろついていたが非常に弱っていたので虫取り網で捕まえて保護していた。トイレの躾も完璧だし人に懐くので迷い猫かと思っていたがそのような情報も無く捨て猫なのだろうということだった。
仕事途中の父に電話をして自分や母がなんと言ったのかはもう覚えていないが、父も猫を飼うことを許諾してくれこうして我が家に新しい家族が増えたのであった。
今でもペットショップで入っていた檻ごと我が家に連れ帰り床に檻を置いたときになれないことにパニックになって檻の中で飛び跳ねて鳴き叫んでいた彼女の鳴くパターンは覚えている。
そしてそのペットショップで丁度捨て猫として保護されていたのが先日無くなった猫の凪紗である。
僕がそのような状況で17歳にして高校にも行けず家にいるわけなので必然と凪紗と接する時間が長かった。初めは本棚の本の隙間に隠れたり網戸をよじ登ったりと子猫らしいことをして楽しませてくれたり、人間が食べているカレーライスやラーメンに手を突っ込んで驚いたり、ポテチやシュークリームを奪って食べてしまったりと野良経験がある分人間の食べ物に興味があるんだなぁ流石は畜生と思わせてくれた。
猫を飼っているんだからとそれまでしてこなかった自室の掃除やゴミ取りをする習慣がついたのはこの頃である。
飼い始めてから1年2年過ぎて僕が布団で寝るときになると枕元に来るようになった。ただまれに僕が普段と逆さまに寝ると足ともで寝るという僕と寝たいに近いだけだったのだが、ある日逆さまに寝始めて彼女が足下で寝始めたとき、持ち上げて僕の枕元に寄せてきて頭を撫でてやったその日から僕がどんな向きで布団で寝始めても枕元で寝るようになり猫と言えども知恵があるんだと感心したものである。
何をするにも一緒、母が食事だと居間から呼ぶ声がすれば自室を一緒に出て居間に行き、戻るときも一緒、一緒に座ってテレビを見たり、僕が風呂に入れば脱衣場で風呂の磨りガラスのドアにしがみついて鳴いたり、僕がトイレで用を足していればドアの前で鳴いたり、寝るような時間になればはやく布団で寝るぞと言わんばかりに合図をしたりと生活してとても張り合いがある子だった。
その後高校は退学したものの大学に進学し僕自身はまだ人生やり直せるかなぁなんて思ったりもしたわけだけど、僕が家から出るときは僕の部屋の出窓から僕のことを見下ろしてくれて、僕が家に帰ってくるときも出窓からこちらを見ていて、玄関に入ると玄関までやって来て挨拶をしてくれた。お向かいさんからは「よく猫ちゃんがあそこの出窓から顔出してるわよね」なんて言われて嬉しかった。
家族にも懐いてくれて居間にソファーがあったのだけれども、人間達が座っていると人間達の隙間で寝たり一緒にテレビを見たり、ソファーに座っている人間の膝の上に座ったりと家族も凪紗のことをかなり気に入っていた。
食卓に魚が並べば二本足で立ち上がりテーブルの縁に前足を置いて魚を捕ろうとしたり、花瓶に花を生ければ人間が見ていない好きを狙って花をかじったり花瓶を倒して割って母に雷を落とされたり、僕がテレビを見たりゲームをしたりとかまってあげないと部屋に飾ってあるフィギュアやぬいぐるみを1つ落としてはこちらの様子をうかがい構って貰えるまで1つずつ次々と落としていって困らせたりと賢いヤツだった。
そんなある日凪紗が最近元気がないという話になり病院に連れて行った。定期検診等は今まで受けたとことがなく、避妊手術をした時以来10歳にして初めての病院だったのだが、血液検査の結果腎不全と言うことが分かった。その時「ここまで悪い数字を出した猫ちゃんは2日後に亡くなったよ」と医者から言われて病院の中で泣いた記憶がある。
結局延命するには1日2回、僕が病院から購入した栄養剤?を皮下注射するということになり、1日2回、朝晩の凪紗への注射は僕の日課になった。それとご飯に混ぜる粉薬と飲み薬を買った。
初めの頃はどうしても凪紗は注射が嫌で物陰に隠れて引っ張り出すのが大変だったし、薬がかかったご飯は不味いようで「こんなもの食うくらいなら死んだ方がマシ」状態だったらしい。栄養剤だけで生きている状態になったりしたが、その後粉薬や飲み薬を飲んでくれない以上ご飯は何もかけずそのままのものを、皮下注射だけは続けようということになった。
しばらくは布団で凪紗と一緒に寝るときに枕元に来てくれた彼女を撫でつつ「凪ちゃんお前やっぱり美人だねぇ…」と声をかけつつ泣いていた記憶がある。
その後定期的に血液検査をしつつ栄養剤を毎日のように入れていて、ご飯は薬がかかってないものなら食べてくれるようになったし、その時点では回復しているように見受けられ一次的には栄養剤を皮下注射するのをやめた時期もあった。無論医者とも相談した結果だったのだが結局また皮下注射だけは毎日するように戻ってしまった。
医者に入ったり自宅で皮下注射するたびに「後10年くらい一緒に生活したいんだけどなー」と言っていた記憶がある。
そんなある日、僕は大学を卒業して社会人をしつつ凪紗への朝晩の注射だけは欠かさなかったのだが、会社との間で賃金交渉が決裂し、資格を取りつつ凪紗の世話をしつつ転職しようということで会社を辞めた。
なんのことはなく資格勉強は勤勉とは言えなかったが資格自身は取れ、凪紗の容体も皮下注射をし続けていれば安定していたある日、いつものように動物病院に薬を買いに行ったときに獣医から「凪紗ちゃんと同じ頃に腎不全になった子、みんな亡くなっちゃったよ」と言われた。覚悟は決めていたつもりがその場でペットの火葬を扱ってくれる業者を紹介して貰って家族とも値段を確認したり連絡先を確認したりと最後の時が来るのを覚悟した。
2016年のクリスマス、知人が家に遊びに来てくれて、チキンとクリスマスケーキを食べた。僕の部屋は凪紗の部屋でもあるので凪紗もいたし、僕も最後のクリスマスだからとチキンやケーキを少しだけ凪紗に舐めさせてやった。凪紗のヤツケーキの箱に頭を突っ込んで顔にクリームがついていたのを覚えている。
大晦日は姉夫婦が遊びに来てくれてまだ1歳にならない姪っ子を抱きかかえた旦那さんと、凪紗を抱きかかえた僕を母がデジカメで撮影してくれた。その時の写真は今目の前にある。
この頃は少し痩せてきたとは感じていたけれども、毛並みも良く、ご飯も食べてくれて愛想も振りまいてくれていた。いい年越しだったねぇ、来年はいないのかねぇ…なんて家族と言い合っていた記憶がある。
2017年の1月、僕は余らせていた趣味の機材を友人に売ったお金で安いコタツを買った。
実はかなり早い段階から猫とコタツでゴロゴロするのが夢だったのだが今まで我が家にコタツはなかった。凪紗も伊織も(実は凪紗の他にもう一人猫を飼っている。凪紗の次に来た子で今目の前で寝ている)コタツをとても気に入ってくれて三人でゴロゴロした。
2月頃、凪紗がご飯を食べなくなった。皮下注射だけはかかさずやっているのだが痩せていった。初めの頃は人間のご飯だけは食べようとしてくれたのだけれどもそれをあげるわけには行かず、どんどんと痩せていった。
しばらくすると口元が汚れていった。多分胃液か何かが逆流してきたものと思う。そのうち口から胃液のようなものをずっと垂れ流すようになった。僕はまだ人間のご飯だけは食べようとしてくれているからと今までよりも高級な猫缶とカリカリを買ってきて凪紗の前に置いてやった。かなり残してしまっていたが初めの頃は食べてくれた。少しすると舐めるだけになった。そして匂いをかぐだけになった。
それと同時期に凪紗がふらつくようになった。酔っ払ったおっさんがふらふらするかのようにとてもふらふら歩くようになったし寝転んでいる時間が増えた。トイレに行くにもふらふら、ふらふらとトイレに行き、トイレから戻るときもふらふら、ふらふらと戻ってきた。ただ名前を呼べば返事をするし、挨拶するとウィンクを返してくれて愛想は振りまいてくれていた。
その後トイレまでふらふらと入ってトイレの縁をよじ登って超えた後凪紗は猫砂の上に倒れるようになった。倒れて数十秒してから起き上がってから用を足すようになった。いよいよかなと思った。
それまでコタツにいた凪紗が僕のベッドの下に籠もったのは亡くなる1日前のことである。あまりそういうことに関しては興味が無い伊織も凪紗が籠もっているベッドの下を外からジッと見つめるようになっていた。僕はベッドの下は寒いからとコタツの中に持ち上げて入れてやった。その夜僕が最後に見た時は凪紗はコタツから頭だけ外に出して寝転んでいた。頭を撫でてやってまだ愛想を振りまいていた。
朝、目覚めると凪紗がコタツにいなかった。カーペットと板場の狭間でカーペットに頭を置いて、身体を板場に置いていた。寒いのになんでだろうと思い撫でてやったら下半身が濡れていた。恐らくトイレにもうよじ登れなかったのだろう。そして(これはあくまで親馬鹿な僕の勝手な想像だが)頭の良い彼女のことだったからカーペットを濡らすのは忍びないと思ってそのような倒れかたをしていたのだと思う。
その朝凪紗の皮下注射をしたとき、初めて彼女が針を刺しても無反応だったのを覚えている。
皮下注射を終えた僕は凪紗を抱きかかえて座蒲団に座らせた。その時に「最後くらい座蒲団の一枚二枚ぬらしたっていいんだから一緒にいてくれよ」のようなことを言った記憶がある。まだ呼びかけには反応してくれていた。
僕はコタツに入り、僕のすぐとなりに凪紗を寝転がせた座蒲団を置いて、左手で彼女の両手を握りつつ、右手で頭を撫でていた。呼びかけをするとウインクを返してくれた。
アンプも繋げていないエレキギターでヘタクソにアメージンググレースとかカントリーロードとか弾きつつ凪紗に聞かせてやったあと、まだ部屋の雨戸を開けていないことに気がついて「凪紗、お外見ようか」と言って雨戸を開けて部屋に光を入れた。
その時、凪紗に瞳孔反射が起こらなかったのである。そしてそれに気がついたときにはまだ凪紗は呼吸をしていた。兎に角手を握りつつ頭を撫でつつ「凪紗、俺が分かるかー?ずーっと一緒だからな?」と声をかけていた。でも遂ウィンクで返事をしてくれなくなり呼吸をしなくなったと分かったとき「ありがとな、今まで本当にありがとな」といった。
遂に看取ったんだと分かった後、葬儀屋に電話をした。葬儀屋に連絡し始めてようやく遂に凪紗が死んでしまったんだという実感をしなければならずその日初めて嗚咽がでた。
その日のうちに凪紗は葬儀屋に行った。そして家族が帰ってきた後、明日は親戚の結婚式、明後日は僕の入社式というこの日を選んだ凪紗は最後まで頭が良い子だったんだな、と話し合った。
遺骨は次の日には戻ってきた。戻ってきた骨壺を伊織に見せてやったら頬ずりをしてくれたのを覚えている。
そして僕は平日社会人をやるようになった。
1週間後、無職の頃は毎日掃除していた部屋を久しぶりに掃除することになり掃除機を部屋に当てていたときに、ゴミやチリの内容に茶色い毛が混じってないことに気がついた。凪紗を出棺した後すぐに部屋を掃除したし、茶色い毛が生えていたのは凪紗だけだった。
その時に凪紗はもういないんだと再度思ってしまい掃除を途中で投げ出して鳴いた。今まで子供の頃からひい婆ちゃんやじいちゃん、ハムスターなんかを亡くしたときも、亡くなって1週間も経ってから鼻提灯出して泣いたことはなかった。それほどまでにずっと一緒にいた家族でありある意味では凪紗は娘だった。
その日凪紗がなくなる2年前までつけていた首輪が出てきた。2年前に外した理由はご飯が食べづらそうだったから少しでも彼女に楽をさせるため、とかだった気がする。子猫の頃から同じ首輪で短く切りもしなかったから子猫時代の彼女には端が長すぎて邪魔だったんだろう。自分の歯で端っこをチリチリにさせてスカーフのようにしていてとてもお洒落だった。僕が生まれて初めて自分以外の相手にどんなものなら似合うのかと悩んで選んだアクセサリーだった。
その後、仕事の昼休み一人で凪紗の首輪を手に持ちつつずっと鳴いていた日もあったが今はその時よりはだいぶ楽になっている。
飼っていた猫が死んだ。と一文で終わらせることも出来る話だし、今までにペットを飼っていた人からすれば「最後がちゃんと看取れて良かったじゃないか」という話でもある。
オチもない話でもあるし、タダの内輪ネタに過ぎない話ではある。
ある意味では猫一匹の終身介護のために仕事を辞めて猫が天寿を全うしたから再就職したという内容でしかない。
無理やり何を言いたいのかとまとめるならば、ペットはいい、とても素晴らしい家族です。
とても可愛いし生活にメリハリがつくし張り合いがある。出かけるとき家に帰ってくるときに挨拶してくれるし一緒にテレビ見たり一緒に寝たり、素晴らしいパートナーとなってくれます。
ただ生き物である以上必ず終わりは来ます。でもだからといって終わりが来るものだからペットは飼わなきゃ良かったなんてそうはならないはずです。それ以上のものをそれ以上の期間人間に与えてくれます。でも終わりは来ます。
終わりが来るととても悲しいです。所謂ペットロスでしたか、それはとても辛い時期です。
仮にペットを飼いたいとなったときに「いつかは死ぬものだしちゃんと最後まで面倒見られるのか?」とそれを言うが言われる側どちらにせよ多分その時は面倒見られますと答えるものでしょう。そして終わりが近くなれば建前としては覚悟をするでしょう。
でもいざその瞬間が訪れると分かったとき訪れたときその建前はしょせん建前でしかなかったと自分の覚悟が甘かったと思うかもしれません。それでもペットを飼うというのは素晴らしいことなんです。